上江洲 基

名桜大学教授


ウーマンズ・プライド創立15周年へのお祝いと感謝

(スミス美咲代表の活躍に対しての感謝)

沖縄の戦後はまだ終わっていない。

スミス代表の話を聞き終わって、最初に感じた事である。

先の大戦は確かに76年前に終戦を迎えている。

しかしながら、スミス代表の語るウーマンズ・プライドの業務内容は間違いなく終戦直後から今日まで続いている「戦後処理」の絶え間ない一分野の仕事である。

それは、沖縄の駐在米軍基地に勤務する、米兵と日本人女性を巡る恋愛・結婚の物語である。

所謂、国際結婚に関する諸々の問題である。

この男女にまつわる問題は終戦の1945年に始まり、時代とともに形を変え21世紀の今日まで絶えることなく続いている。

この様な在沖・在日米軍兵士との関係に関わる女性のことを巷では「アメ女」と呼ばれている。

その呼び方には当然、多少の侮蔑の意味が込められている事は否めない。

それに対して、終戦当時の米軍と結婚した沖縄の女性は「戦争花嫁」と称され、今日の「アメ女」と呼ばれる女性達と大きな点で異なっていている事、つまりこの「戦争花嫁」達の歴史には、想像を絶する物語が横たわっている事をスミス代表強く主張する。

それは貧しかった戦前の沖縄で、一家を救うためハワイ・中南米へと移民を余儀なくされた方々の苦労の歴史に劣らない物語である。

この事を語る度にスミス代表は必ず激怒する。

彼女の怒りは「戦争花嫁」と今日の「アメ女」達との心情の大きな落差にある事は間違いない。

更に、スミス代表は「現代のアメ女達は嘗ての戦争花嫁達に足を向けて眠ってはいけない」と必ず付け加える事を忘れない。

嘗ての戦争花嫁達の多くは貧しい家庭の救済のために戦勝国の男性に必死に求婚したのであった。

アメリカ本国に嫁いで行って後、アメリカ人夫の様々な不条理に耐えなければならなかった事は当然のことであった。

彼女らが耐え忍んだ分、故郷の彼女らの家族は戦後の混乱する社会を生き延びる事が出来たのだ。

物質的に豊かな現代からは想像すらできないことであろうが、彼女らの国際結婚は多くが困窮する家族救済のためであった。

その一方で、様々な苦境を生き延びた人は人格の向上に繋がらないはずはない。

その代表的な方がサマーズ正子さんである。

紙幅の関係でここでは詳細を述べる事は出来ないが、今日を生きる戦後生まれの我々は彼女の人生の歴史を知るべきである。

今日ウーマンズ・プライドへの相談は多くの場合、米兵との自由恋愛の結果発生した様々な問題(結婚・離婚・養育費等)を巡る問題である。

ケースによってスミス代表はアメリカ本国・韓国での支援のために、沖縄を留守にする事も度々である。

その様な問題は一見、行政の仕事ではないかと素人には思えるが、残念な事に現在の法律にはそこまでは期待できないようだ。

しかしながら、この件こそ戦後の忘れられた、生きた人間のつまり「愛」から発生する重要な問題である。

しかしながら「基地協定」などがその解決を阻んでいるようである。

この様な国際的な諸問題をウーマンズ・プライドは今日も一挙に引き受けて、国際間に横たわる問題処理に東奔西走している。

実に頭の下がる思いである。

今後のウーマンズ・プライドの活躍と国際結婚を望む女性達のご多幸を祈る。

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